スタート前、駐車場のメーカーサポートカーにはいわゆるワークス的なトップ選手が集まる。知り合いの選手に挨拶をしてスタートを見送った。
でも、私が長い時間、見なければいけないのはそういうランナー達ではありません。今回のお役目はスイーパー、そう、最後尾のランナーと区間全体の安全を確認しながら、確実に次の区間のスイーパーにその安全を繋ぐのがお仕事となります。
このMMAブログサイトの主催でもある渋井さんが、1つ前のスタートから富士宮までのスイーパーを勤めていた。上の連絡から私の業務が開始となる。スイーパーは最後尾だけを見ればよいかというと、実はそうではないのです。安全管理においては、前の区間をスタートした人数と、その区間を終える人数が一致することが最も重要なことなのです。へ?最後尾に付けば難しいことではないのでは?一致しないことってあるの?と思われるでしょうが、分岐でロストする人、トレイル脇で寝てしまう人、体調不良でトイレに駆け込む人など、スイーパーより後ろに位置してしまう場合があります。ですので見える範囲は限られますが、周囲を確認しながら進みます。UTMFはコンビニや、道の駅もあることから、区間によってはそれらの場所をチェックする指示もだされている。コースを外れて、チップを返さず、長い時間連絡もせず、ましてやそのまま帰ってしまうと、その人数が合わず、安全管理としては遭難や滑落を疑う案件として扱わなければなりません。スイーパーだけで解決ができる問題ではありませんが、その一端を担っています。
担当するのは、富士宮〜麓の区間、本来は天子ヶ岳を登り、長者ヶ岳を通過し、熊森山から下るルートなのですが、今回は大会が事前に設定していた迂回ルートで麓の田貫湖の脇を通る、舗装、未舗装林道が中止のコースとなりました。天子ヶ岳に登るとなると、最後尾が動きを止めてしまった場合、ワンビバークもあるなと覚悟していたので、迂回ルートとなった時点で装備は少し変更しました。それでも大会側が用意する防水がしっかりしたスマホ2台とバッテリー、ファストエイドキッドはそれなりの重量がある。
私がスタートする富士宮U1にガンバフンバくん登場。故人の遺志は受け継がれているのですね。大会主催者へ。次回は着られるように事前に特注サイズのビブスを作ってあげてください。ノースフェースの別注で(笑)
U1を出てすぐに西富士中の脇を通過する。初期のUTMFのエイドで使用されていた。時計周りの第1回は天子山塊を本栖湖まで一気に通過する緊張感(そして六花さんの屈伸チェック)、反時計周りの第2回は一晩目を無事に通過した安堵感、第3回目は少しだけ余裕ができたこともあって、明るいうちに天子と対峙できることにワクワクしながら通過したのを覚えている。懐かしさに思わず写真を撮った。そして、この後のわずかなトレイル区間でも、前夜の降雨で、多くのランナーが通過後は、耕した田んぼのような状態が何箇所か点在した。仮に迂回路を使わず、熊森から下りることを想像すると、ぞっとします。今回の迂回路選択の判断は、いろいろな意見はあるとは思いますが、私が最後尾から見た、トレイル、ランナーの状態では正しい判断だったと思います。
大きな事故はなく、無事担当区間を終了して麓エイドに到着、到着人数を確認して業務終了。走れる若手のスイーパーと。
次の区間のスイーパーにバトンタッチ。あらいぐまの被り物が懐かしい。久しぶりにお会いできた。スイーパー名簿を見ると、もう選手としてUTMFは走らないが、卒業生の同窓会的な顔ぶれであり、そんなふうに世代が循環し、私たちが新しい世代を支えていくことは、とても良いことだと思っています。
<余談>序盤のスイーパーをすると、無理して走らず、下りも歩く人がいる。ハセツネなら一歩も走らずとも登りの歩きが速ければ完走できる。ハセツネはそもそも登山のトレーニングが起源であるから、当然といえば当然なのですが、UTMFはどうでしょうか?今回の迂回路設定と関門時間であれば、その可能性はあったかもしれません。私が最後尾で見た方の中にそういう雰囲気のランナーはいました(ゴールしたかは確認していません)ただ、計算上可能でも、仮眠時間を取れないでハセツネの倍近い制限時間を歩き続けることができるのかはわかりません。また、意図的に走らないのではなく、怪我や故障で痛みを伴う状態で走れなくなった場合は絶対に無理だろうなということ。安全のためにもエイドでのドロップが正しい判断だと思います。