5/25(土)は比叡山の50mileに参加。
比叡山のレースは第1回目大会(50km)に出場していて、暑さと内転筋の痙攣に苦しみながら、7h(12位)ほどで完走(https://mountain-ma.com/naminem/2015/06/02/比叡山-international-trail-run/)。
今回は初めての50mile部門の参加となった。
今回のレースの位置づけとしては、UTMBに向けてのフィジカル的なベース作りの進捗度合いのチェック。
HURT100が終わってから、フクラハギの肉離れで2ヶ月トレーニングがあまり出来ておらず、4月ミドルにやっとトレーニング再開して当初かなり不安だったが、GWが長かったり、この時期にレースを配置したことによるモチベーションUPにより、結局は、1.5ヶ月で目標の8割ほどまでフィジカルコンディションを高めることができてはいた。
また、2week前からは、ジムでの暑熱順化も取り入れ、減量(3kg減)も実施。ただし、100mile後半も少し意識して、あえて積極的に疲労抜きはせず、ノーマルな状態で今回レースにのぞんだ。
僕はUTMF2015の失敗から、タイムスケジュールは立ててもわりとアバウトなモノにしている。
設定タイムから乖離することによる精神的なバイアスを排除したいのと、身体が感じるままにレースをしたいからだ。
そのため、何度も50mileに参加しているシガウマラの面々のタイムチャートを眺めてはいたが、結局は視界に捉えて走れば良いかと、雑な感じで何もせず前日は就寝。
レース当日、スタート時点(標高700m 8時)ですでに暑さを感じる。
確実に初年度の比叡山よりは暑そうだ。
いよいよレースが始まった。
鏑木さんが最初引っ張って、お別れするとすぐ下りが始まる。暑さからから、結構登りは息が上がったので、下りは慎重に進む。それにしても、僕の(勝手に思っている)ペーサーである内糸・西ペアはもはや視界にない。
とにかく心拍は160を超えないように、それだけを意識しながら進む。下りも攻めると大腿四頭筋が終わるので慎重に。
初年度は、もたて山で既に内転筋が攣ってしまったという記憶は鮮明に覚えていたので、もたて山でも心拍を管理しつつパワーウォークで進む。
暑さは感じていたが、時折風もあり、足は攣らずに根本中堂へ戻ってきた。
少し疲れているが問題はない。ただ、うっすら覚えてた内糸さんのチャートだと11:30までに帰ってこないといけなかったが、11:45くらいに到着。途中お会いした族長に聞くと、完走ギリギリのタイミングとのこと(多分温情でギリギリと言っていただいたw)
ヤバイ、とりあえず内糸さんに会わないと!
と思い少しギアを上げる。登りは心拍165までを許容する。でも下りは慎重に。
少し心拍をあげたら頭がクラクラする。ヤバイなと慌てて歩きを入れたりする。
それでも、今回は心拍をキチンと管理して、ペースをコントロールして、飲み物も全て経口補水液、補給も自作ジェルをフラスコに入れてこまめにしていたので足攣りは無かった。
横高山の登りの手前では、念願のドボンをしてアタック。
昨年、たっちゃんと行った7月の灼熱の比叡山を思い出しながら、ここはしっかりと良いペースで行けた。ふと、横高の山頂を見上げるとなんと内糸さん発見!正直少しホッとする。
山頂過ぎて、エールを送ってパスさせてもらい、さて、前を行っている西さんに追いつこうと淡々と進む。
進んでいくと井久保さん発見!
脚が攣って厳しそう。頑張りましょう!と言って急な下りを進む。
パラグライダー場にはカズミンさんがいてくれて、氷と冷たい水を頂く。ありがたい!
下ってるとセオさん発見。少しフラフラして辛そう。ここでもエールを交わして進ませてもらう。
ガンバフンバエイドはランランやガンバフンバ君が。もっと灼熱だったサンタバーバラの話をして、ここでも元気をもらい、絶対2周目行くからと先を急ぐ。いつのまにか内糸さんがいなくなってて、先に行ってしまった様子。
ここで誤算だったのは、ロードの登りは勝手に短かった印象があったけど、結構長かった。。
得意なセクションなので全部ステップをちゃんと踏んで行けば良かったと、今思うと後悔。ここは(まだ2周目もあるしと)歩きと走りを混ぜて安パイで進んでしまった。
今思うとなんて能天気なおめでたい野郎なんだろう。。
麓のエイドに着くと吉田ご夫婦がいらっしゃって、アイスバンダナに氷を入れたりしてくれる。ここで西さん発見!
西さんの奥様に氷を頂き、アイスバンダナに詰める。
さあ、西さん、二周目やったりましょう!
という感じで「関門どんな感じですかね?」
と聞きてみると、「正直、結構プッシュしないと厳しいかも」との返答。
ちょ!!!
予想外の答えだったので、やっとヤバイ状況だと悟る。たしかに、ガンバフンバエイドで先行された内糸さんとの差は縮まってない。。
やるしかない。
とにかく上げよう。
とギアを上げて登る。茂山さんも発見!
熱中症で苦しそう。頑張りましょう!と言って行かせてもらう。
横川のエイドではモリエちゃんがいて、元気そうで良かった!と言ってくれた。
今考えるとここで気づかないといけない!w
これって、「良く頑張ったよ(間に合わないけど)」って意味だったのでは?
とにかくこの時は全く気づかず、林道セクションへ。ここでも誤算があったのだが、1回目の時はこんなに林道が長いイメージが無くて(実際コース変わってた)、はじめキロ5位で走ってたが、あまりにも長いので、もしやと思い不安で後半キロ4まで上げた。
するとあと2kmの看板が。
時計をみると16:10。ということは?残り20分!!
厳しい。これは厳しい!
とりあえず全力で進むが、半泣き状態。
トレイルが終わって後5分。
そして壁のロードをみて気持ちが折れる…
壁を登ると内糸さんが悲しそうな背中で歩いている。僕も現実受け止めて脱力。
そして、二人でゴール。
7:35。
5分間に合わず、僕の比叡山50mileは50kmで人生初の関門アウト。
ゴールには鏑木師匠もいて、アレ〜!と言っている。
「いやー、完全に時間配分間違えました」と言ったら、「それも含めて実力だよ。」と言われ、言い訳を言ってしまったバツの悪さも踏まえて、本当にそうだなと反省しきり。
今回は結局、最初の20kmの遅れを取り返せず終わってしまった格好。
かなり厳しいと言われている比叡山50mileをリスペクトしていなかったわけではないが、丸腰でクリアーできるほど容易いレースではないとあらためて再認識。
そりゃ、シガウマラの面々が1年かけて準備するだけの価値やタフさはあるなと。
比叡山50mileはスピードとタフさ両方求められるため本当に綿密な計画が求められ、まるでハセツネのようだと思った。でも、ハセツネとちょっと違うのは、私設エイドが本当に豊富でありがたいのと、割と街中からもアクセスできるので家族も応援できて、とても良い雰囲気だなぁと思えたこと。スタッフも関西のりだから?なのか、明るく楽しい雰囲気。今回、シガウマラシャツを着ていたので、随所に応援してもらい、とても元気が出た。
自分としては、不甲斐ない結果に終わり、比叡山に往復ビンタされた格好になってしまったが、なんとシガウマラは50mile1, 2, 3独占!
あとは、伊藤さんが見事完走!
あらためてとんでもないチームに所属してるなと誇らしく思ったのであった。
ちなみに、レース後、鏑木師匠に聞かれ「来年、リベンジします!」と約束をした。
来年こそは、最高の準備をしてのぞまないといけない。
今年ダメだったシガウマラの他の面々と共に、来年はチームフラッグを掲げてみせる。そう思いながら、新幹線にゆられているのであった。