こんにちは、藤岡です。
私が住むアメリカから見ると地球のほぼ裏側、フランスの海外県レユニオン島に二週間ほど滞在し、レユニオンをがっつり満喫するついでにディアゴナル・デ・フ(La Diagonale des Fous)に参加してきました。
地理的にはアフリカでありながら、かつては植民地、現在は海外県としてフランス本土の影響を強く受けるレユニオン。また歴史的にはヨーロッパとインド間の貿易の中継点の役割を果たしたり、中国からの移住を受け入れたりと、いろいろな要素が混ざり合ったことで独特の「クレオール文化」を育んでいます。
一年を通じて温暖な気候で、ディアゴナル・デ・フの全参加者の約半分を占めるフランス本土の人の多くは、家族と一緒にバカンスを兼ねて2〜3週間をレユニオン島で過ごします。
わたしもそんなフランス人に倣って(?)レースだけでなく山へ海へと遊び回ってきました。レユニオンでの滞在で見たこと感じたことすべてを話すととても長くなってしまうので、レースに絞ってレポートしたいと思います。それでも長いレースだったのでレポートも長くなってしまいそうですが。
LA DIAGONALE DES FOUSとは?
ディアゴナル・デ・フは1989年から続く歴史ある大会で、「グラン・レッド」(Grand Raid)とも呼ばれます。レユニオン島の南側にある海辺の町サン・ピエール(Saint-Pierre)から「ディアゴナル」(斜め・対角線の意)の名前の通り島を北西方向に斜めに突っ切り、北側にある海辺のサン・ドニ(Saint-Denis)にゴールする全長163キロ、累積標高差10000メートルのレースです。ちなみにディアゴナル・デ・フの「フ」(Fous)とは、日本語で言うと「阿呆」「馬鹿」「狂ってる」というような意味なので、「ディアゴナル・デ・フ」は「阿呆が走る対角線」という意味になります。
レユニオン島の面積は神奈川県よりちょっと大きいくらいですが、火山活動で形成された複雑な地形が変化に富んだ豊かな自然環境を作り出しています。島の東側にある活火山ピトン・ドゥ・ラ・フルネーズ(Piton de la Fournaise)と真ん中にある最高峰3070メートルのピトン・デ・ネージュ(Piton des Neiges)、そしてピトン・デ・ネージュを囲むように形成されたマファト圏谷(Cirque de Mafate)、シラオス圏谷(Cirque de Cilaos)、サラジー圏谷(Cirque de Salazie)の一帯は「レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群」としてユネスコの世界自然遺産に登録されています。レースではそのど真ん中を横切って行くことになります。
こうした地形もあってテクニカルなセクションの割合が高く、キリアン・ジョルネ(Kilian Jornet)が提唱するテクニカルレベルの分類ではUTMBよりも難易度が高いとされています。
過去に滑落により2人、心臓発作により1人の合計3人の死者を出しており、「無事に生き残り、完走する」ことだけでも十分に誇れる過酷なレースです。
また、ディアゴナル・デ・フと同時に93キロのトレイル・ドゥ・ブルボン(Trail de Bourbon)と64キロのマスカレーニュ(Mascareignes)も開催されます。
島で人気のアクティビティ
トレイル・ランニングは島では人気のアクティビティ。島中に張り巡らされたトレイルの幾つかを私もレースの前後に歩きましたが、多くのハイカーやトレイル・ランナーに遭遇しました。また、ある宿の主人とは「キリアンはすごいよな!」と普通にトレラン談義に花を咲かせることもできました。
当然ディアゴナル・デ・フは島の一大イベントで、多くの島民がレースに参加し、ローカル紙では連日報道され、地元のテレビ局ではレースの模様が中継されていました。
目標と計画
優勝者でも24時間はかかる長丁場のレース。かつアメリカの走れるトレイルばかりを走っている私はテクニカルなコースが苦手。さらに100マイルのレースではこれまで後半いつも失速しています。なかなかこんなところまで来られる機会もないので、まずはしっかり完走してコースを隅から隅まで楽しむことを目標に、できれば32時間から34時間ぐらいでゴールできればいいなと考えていました。
他の100マイルレースと同様、今回も妻にサポートしてもらう予定。ただエイドステーションに車で先回りするのが容易ではないコースレイアウトになっているので、もし妻のサポートを受けられなくても問題がないように、途中二箇所で認められているドロップバックに着替えやシューズ、食料などをしっかり準備しておきました。
スタート時のシューズはグリップとクッション性を備えたMerrell All Out Peakを選択。最初のシラオス(Cilaos)のドロップバックにもMerrell All Out Peak、ふたつ目のマイド(Maïdo)のドロップバックにはクッション性を重視してHoka Challenger ATRを入れておきました。
スタート時の携行食はいつもより多め。ジェルと固形食合わせて2000〜2500キロカロリー分くらいは持っていたでしょうか。
スタート前
スタート地点は前日にもレース登録で訪れたサン・ピエール(Saint-Pierre)。比較的大きな町で、私達がレース中の拠点としたサン・ドニ(Saint-Denis)からは渋滞がなければ車で1時間ちょっとの場所にあります。レース開始の二時間ほど前には到着し、すべての必携品についてチェックを受けた後、選手が待機するエリアに入り、地元ミュージシャンのライブ演奏を聞きながら待ちます。
レユニオン空港に到着してからというもの、バカンス地の雰囲気にすっかり気持ちが緩んでしまい、レース直前になっても気持ちが入り込まず「これから本当に自分は走るの?」という心持ちでした。
レース開始まで一時間足らずという頃に突然の強い雨。慌てて薄手のレインジャケットを着ます。島の中央にある山々が雲を作りやすく、午後は天気が崩れやすいようです。
スタートまで30分を切ると、エリート選手に続いてすべての選手がスタートラインへと移動。約2500人の「レッダー」(Raideurs=グラン・レッドを走る人)ですし詰めとなり、自分が先頭からどのあたりにいるのか見当もつきません。雨脚が弱まりレインジャケットを脱いだころにレースはスタートしました。
スタート
木曜日の午後10時にレースはスタート。まずは海を右に見ながら舗装路を5キロほど進みます。沿道の両脇で応援する人は途切れず、観客に挟まれて細くなった道は追いぬくことも簡単ではありません。海のほうからは花火が上がり始めました。
湿度が高く、夜でも少し汗ばみます。しばらく日本の夏を経験していない私にはなんだか懐かしい。
しばらくすると海岸線から左に折れ、なだらかな上りが始まります。人混みもバラけ始めてやっと走りやすくなり、つぎつぎと周りのランナーを追い抜いて行きました。
レユニオンの名産の一つであるさとうきび畑に入っても、ところどころで応援してくれる人がいます。かなり遅い時間だというのに子供も混じっています。
スタートから40キロ地点までは、海抜ほぼ0メートルから2000メートルまで緩やかな上りが続きます。途中、舗装路もあり比較的走りやすいセクションですが、中盤以降の難所に備えて、先を急がずゆっくりと、歩くべきところは歩くのがディアゴナル・デ・フの鉄則です。
いつの間にか雲も消え、時々ヘッドランプを消して満天の星空を楽しみました。
序盤
24.3キロ地点のノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペ(Notre Dame de la Paix)にあるエイドステーションに金曜日の午前1時6分に到着し、最初の補給を行いました。
食べ物が用意されているエイドステーションの品揃えはどこも大体一緒で、飲み物は水、コーラ、コーヒーなど。塩っぱいチキンスープはゆるゆるの柔麺入り。その他にバナナ、オレンジ、塩、チーズ、ハム、サンドイッチ、ビスケットなど。
私はエイドステーションではいつも通りコーラでカロリーとカフェインを摂取するとともに、食べやすいバナナとオレンジを中心に食べていましたが、加えて今回は湿気で発汗も多かったこともあり意図的に塩分を多めに取り、またUTMBで胃の不調があった反省からサンドイッチなどの固形食を増やして胃を動かすようにしました。ノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペではローストチキンも用意されていて、大変おいしく頂きました。
ディアゴナル・デ・フではエイドステーションには選手しか入れません。一方、私的サポートが受けられる場所はかなりルーズで、エイドステーションの前後数キロにわたって道の脇で選手を待つ人々が見られました。
私もノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペで妻から最初のサポートを受ける予定でしたが、エイドステーションへ向かって歩く妻と遭遇したのは私がエイドを出てしばらくしてから。すでに食事を済ませており、他に必要な物もなかったので「順調、順調」とこちらから声をかけて先へと急ぎました。
ノートル・ダム・ドゥ・ラ・ペを過ぎると、火山岩が隆起していたり前夜の雨でぬかるんでいたりで、すこし走りにくいセクションが増えてきました。ペースを落とさざるを得ないだけでなくメリハリのないセクションで、ちょっとだけうんざりしながら淡々と進み続けます。
と、ちょっと走れる場所で前を急ぐと何かにつんのめり、前からすっ転んで顔と胸を土面に、右太ももを岩にぶつけてしまいました。特に右太ももは結構な痛みがあり、心を落ち着けつつ様子を見るためにしばらく歩いて進みましたが、リタイアするほどではなさそうなので再びペースを戻しました。
50.3キロ地点のマール・ア・ブ(Mare à Boue)を金曜日の午前4時45分に通過したあと、しばらくして夜明けを迎え、やっと周りの風景がはっきりと現れました。右手がかなり切り立ったセクションもありましたが、トレイルの両脇に植物が茂っていたのでさほど危険は感じませんでした。
いつまでつづくかわからなかった走りにくいセクションが終わると、眼下にシラオスの町が現れます。いよいよディアゴナル・デ・フの山場が始まります。
(つづく)
4 コメント
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