(前編の続きです。)
3つの深い圏谷
シラオス圏谷(Cirque de Cilaos)からマファト圏谷(Cirque de Mafate)を通り、一旦サラジー圏谷(Cirque de Salazie)に入ったあと、再度マファト圏谷を抜けるアップダウンの激しい中盤は、もっとも厳しく、かつもっとも美しいセクションでした。
シラオス圏谷
まずは周囲を壁のような山に囲まれたシラオスの町へ向けて、階段状のトレイルを2キロの間に一気に800メートル近く下ります。
頭の中で描く理想はスタスタと軽快に下るイメージですが、実際にはドタッドタッと行った感じで、スピード感を欠いて降りて行きました。それでもなんとか後続の選手にほとんど抜かれずに下り切り、階段を降りきって直ぐのところにあるマール・ア・ジョゼフ(Mare à Joseph)のエイドステーションで簡単に補給を済ませました。
そこからシラオスの町までは近く、走りやすい下り基調の道を4キロ行った場所にあります。
65.9キロ地点のシラオスの町に金曜日の午前7時55分に到着した頃には、既にかなり気温が上がっているように感じました。
妻がエイドステーションで待っていて、暑さよけのため首の後ろまで日除けがある帽子を手渡してくれました。このあと午前中は日差しが強かったので、かなり助かりました。
ドロップバックを受け取り、靴下やシューズ、上着をすべて交換し、携行食を補充した後、少しゆっくり食事を摂りました。このエイドステーションでは他のエイドステーションで用意されているいつものラインナップに加えて、チキンとトマトソースとパスタの温かい食事が用意されていました。ただしパスタはユルユルのグテグテでフランスのクオリティ。アルデンテのパスタが食べられるのはイタリアと日本くらいです。
シラオスの町を抜けると、しばらく谷沿いのトレイルを下っていきます。ちょっと時間をとって休んだこともあってか脚も元気で、加えて私にとっては比較的走りやすい区間だったので、先行するランナーを何人か抜くことができました。
下りを終えると、シラオス圏谷を抜けるべく急な上りが始まります。暑さにやられてスローダウンする選手が多い中、歩調を淡々と維持しました。前半痛めた太ももが多少痛みましたが、幸いレースを進める上で大きな問題というほどではありません。
途中で何箇所が飲水できる湧き水があり試してみましたが、まろやかで甘みがありました。ちなみにレユニオンではシラオスの水とマイドの水は飲用水としてボトル詰めで販売されています。
マファト圏谷へ
きつい上りを終えてシラオス圏谷を抜けると、今度はマファトの深い谷へと下っていきます。マファト圏谷は車でアクセスする手段がなく、ここでリタイアした場合、大怪我の場合はヘリコプターで、そうでもなければ自分の足で圏谷外に出るしかありません。
77.4キロ地点のマルラ(Marla)のへの下りは、シラオス手前の下り同様の激下りでやはり苦労しました。一人か二人に抜かれましたが、まあ自分が得意としない急な下りではやむを得ないといったところでしょうか。
金曜日午前11時4分にマルラを過ぎたあと、やや上り基調のトレイルを進みます。途中にある平坦な区間も横木で渡されていて走りにくく、コースプロフィールを見ただけではわかりませんでしたが、なかなかペースが上がりにくいセクションでした。
昼が近づき、すこし雲が出てきて多少日差しは弱まりましたが、高い湿度は相変わらず。かなりの暑さを感じていました。
サラジー圏谷を抜け、再びマファト圏谷へ
さほど長くない階段道を83キロ地点のコル・デ・ブフ(Col des boeufs)まで上り、一旦マファト圏谷からサラジー圏谷に入ります。ここから97.1キロ地点のグラン・プラース・レ・バ(Grand Place les Bas)までは下り基調の走れるセクションです。ただ、ここまで繰り返し上り下りで脚を使わされせいか、大きくペースは落ちないまでも、私の足取りはやや軽快さがなくなってきました。グラン・プラース・レ・バでは日本から参加の西野さんと言葉を交わしました。
ここから再びマファト圏谷に入ります。ここからロッシュ・プラット(Roche Plate)を経由してマイド(Maïdo)へと至る道のりは、レースに参加した誰もが最も辛かったと口を揃えるであろう厳しい区間です。私はここまでは1リットルの水でエイドステーション間を問題なくやりくりしていましたが、念の為に予備のフラスクを取り出し、500ミリリットルを追加で背負って出発しました。
両脇が切り立った岩山の稜線を一つ越え、さらに切り立つ山を一つ、二つと超えたあと、誤って落ちたら数十メートル真っ逆さまという切り立った上りを上ったうえで、105.1キロ地点のロッシュ・プラットに至るセクションは常軌を逸した厳しさでした。途中、疲れ果て、座り込んだり寝たりしている人があちらこちらに見られました。私はトレイルのタイプは違うものの昨年走ったUTMFの天子峠をすこし思い出しました。
このセクションに2時間半かけて金曜日午後5時32分にロッシュ・プラットのエイドにやっとの思いでたどり着くと、疲れてしばらく座り込こまざるを得ませんでした。じっくり時間をかけてコーラやスープをのみ、バナナ、オレンジを食べたあと、このあと迎える二日目の夜に備えてヘッドランプの電池を交換して装着しました。私が出発するのと入れ違いで、先のエイドで会った西野さんが入ってきました。
マファト圏谷はまだ終わりません。ここから111.5キロ地点のマイドのエイドステーションまで、さらに1000メートルの標高差を上り続けます。
マイドへと上っていると次第に暗くなり、霧が巻き始めました。途中ですこし道を間違えて後戻りし、正しいコースに戻るために後続を待ったりもしました。
そんな険しい山の中にも、時々応援する人が座って待っていたりします。また知り合いの選手を待ち構えていて、ペーサーとして並走を始める人もいました。(これはおそらくルール違反だと思われます。)
やっとのことで上りを終え、応援の人だかりがあるのでやっと休めると思ったら、マイドのエイドステーションはそこからまだちょっと先。このレースではいたるところに人だかりがあるので、人がいるからエイドステーションだと思ったらいつもがっかりさせられます。
エイドステーション直前で待っていた妻と言葉をかわしたあと、金曜日の午後7時54分にマイドのエイドステーションに到着。くたびれて椅子に座ってじっと休んでいると、急に寒さを感じ始めました。動いている間は半袖でもまったく問題なかったのですが、エイドステーションがある場所は標高2000メートルを超え、観客やボランティアの人はダウンジャケットなどかなりの厚着です。受け取ったドロップバックに入れていた服に急いで着替え、上着をはおり、エネルギーを補給しました。
やっと圏谷セクションが終わりました。流石に疲れてきましたが、大きくペースを崩すこともなくここまで来ました。
ゴールまで残り50キロほど。やっとすこし先が見えてきました。
(つづく)
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