9月の最終週に開催されたベアー100(Bear 100)に、昨年に引き続き参加してきました。
ユタ州のローガンという町をスタートし、アイダホ州のベア湖の畔がゴール。最高地点の標高は2750メートルほど。
標高が高く険しいロッキー山脈で行われる100マイルレースのシリーズであるロッキー・マウンテン・スラムの一つに選ばれていることや、難関のハードロック100が完走者にエントリー資格を付与していることからも分かるとおり、レースはとてもタフ。
「ロー・キー(Low-key)」を地で行く、派手さを求めることなく心地よい雰囲気で溢れたこの大会。人気も高く、今年も350人の出場枠は一杯。
20週年を迎えた今年は、第一回大会の優勝者ハル・コナーなどのレジェンドのほか、なんと「俺も走りたいし。」とレース・ディレクター自身もディレクター業を人に任せてランナーとして参加。
私は去年日没後に散々道に迷ってしまい思ったような結果にならなかったので、今年は2つほど対策を準備してきました。
- GPSウォッチのナビゲーション機能を活用。
- 日没後はいつものヘッドランプ(Black Diamond Icon)に加えてウェスト・ライト(UltrAspire Lumen 600)という極明仕様。
いわゆる「インディアン・サマー」とよばれる気候で、朝晩は一桁台の気温に対して日中は30℃近くと寒暖の差が激しい。前日のブリーフィングでは皆Tシャツ姿なのに対して、翌朝のスタート時は多くのが上着や手袋をしていました。
私はシェル・ジャケットと軍手をしてスタートラインに並ぶも、走り始めればすぐに暖かくなると踏んで考え直し、レース直前にいずれも脱いで代わりにアームウォーマーを装着。
スタート直後に早速コース中で最も長い上り。目の前のハル・コナーのすぐ後ろに付き、抜けそうでも抜かずに、意識して昨年よりゆっくりと登ります。
序盤は焦らず3〜5番手ほどの位置。先行するランナーはちょっと飛ばし過ぎのように感じるので、私は抑えて彼らが落ちてくるのを待つ構え。
標高の高さからか多少足が重く感じるものの、そのうち慣れるだろうとあまり気にせず進みます。
金色に広がるアスペンの樹々が美しい。
案の定、先を進んでいたランナーが一人また一人と順位を落としていきます。45マイルすぎのテンプル・フォークのエイドステーションに入ると、疲労の色がありありと見えるレース・リーダーが深く椅子に腰をおろしており、すぐに出発する雰囲気はナシ。
まだ半分も行っていないので私も慌てず、砂塵が入って違和感のあったシューズを交換したあとエネルギー補給。その間もリーダーは休んだまま。結局先にエイドを出発した私がこの時点で先頭に立つことに。
自分のペースで自然と先頭に立ったこともあって、「悪くない展開。このまま押しきれるかな。」という考えが頭を過ります。続く幾つかのエイドステーションでもランナーとすれ違うことも見ることなく、後続との差は少しずつ広がっている模様。
しかし、そのままレースが終わるほど甘くはありません。私が85マイル地点ビーバー・クリークのエイド・ステーションを出るタイミングで、序盤に少し声をかけあいながら走っていた25歳のナイスガイ、タイラーがペーサーと一緒に到着。
The Rut 50kの優勝者という最高のペーサーを従えたタイラーの足色は明らかに私を凌ぎ、次のセクションで彼に抜かれたときには2位に目標を切り替えるしかありません。
85マイル以降は疲労を感じていたこともあって、アメリカのレースでは初めてポールを使用。上半身を使って体全体で動けたので、足だけで進むよりも粘れました。
ヘッドランプとウェストランプの二段構えで臨んだ夜間のトレイルは、リフレクションがついている箇所が少なく、やはりコース・マーキングが分かりにくい。それでも昨年走っていたこともあって、ほぼ迷わず。GPSのナビゲーションは役に立ったのかどうかよくわかりません。
最後の長い長い下りを降りながら何度か振り返っても後続が見えなかった時点で2位を確信。
今回も各エイドステーションでサポートしてくれた妻がゴールで待つ中、1位のタイラーから35分遅れの20時間28分59秒でフィニッシュ。
下の表は1位でゴールしたTylerとトップ10との差。私は中盤で先頭に立ち、差を広げにかかったが、最後まで持たなかったという展開。レース中は良い流れで先頭に立てたと思ったけれど、結果論としてはちょっと勝負を急ぎすぎたか。後半まで意識して我慢する必要があったかも。心ではいつも終盤まで急ぐなと思っているのにね。
それでもBear 100という歴史と格があるレースでの2位。手に入れたバックルは同じでも、昨年の失敗を糧に手に入れた今年のほうが満足度は遥かに上回ります。