はじめに
2014年9月20日〜22日に開催された「第1回 上州武尊山スカイビュー・ウルトラトレイル」に出場した。群馬県片品村をスタート・ゴールとするこの大会には、120km・60km・30kmの3種目が設定されており、私は最長部門である「山田昇メモリアルカップ120」にエントリーした。
目標は完走。来年の100マイル初挑戦に向けた足がかりとするつもりで臨んだ。しかし、結果は59km地点の関門に15分遅れて到達し、DNFとなった。14時間15分で今年最後のロングレースは終わりを告げた。
レース前日:血圧異常と不安な夜
レース前日の20日、装備チェックを終えた後のメディカルチェックで血圧の異常が発覚した。上が154、下が97。軽度の高血圧と診断され、医師からは「決して無理をしないように」と釘を刺された上で出走許可が出た。
普段、会社の健康診断で異常を指摘されたことはなく、自分でも驚いた。思い返せば、直近1か月のトレーニングではペースが上がらず、やたらと疲れやすいなどの違和感があった。仕事のストレスも影響していたのかもしれない。その夜は体調と直近の出来事を思い返し、不安な気持ちを抱えたまま床についた。
スタート〜エイド1(11.3km):体の異変に気づく
9月21日、午前3時に起床し、朝食と準備を済ませてスタート地点へ向かった。68km地点に設置されるドロップバッグを預け、5時ちょうどにレースはスタート。空はまだ暗かった。
序盤から体調に異変を感じた。ペースが上がらず、呼吸が浅い。手の痺れ、目眩もあり、明らかに「いつも通り」ではなかった。それでも何とか7時7分にエイド1へ到着。制限時間には約53分の余裕があったが、不安は拭えなかった。
剣ヶ峰越え〜エイド2(28.8km):悩みながら進む
エイド1からは、このレース2番目の高峰・剣ヶ峰山(標高2020m)を越えるパートとなる。標高が上がるにつれて眺望が広がり、美しい稜線が視界に入った。
下りはスリッピーな岩と木の根に足を取られないよう慎重に進む。宝台樹スキー場のゲレンデでは急登と急降下が続き、消耗を強いられた。11時45分、エイド2に到着。提供されていた豚汁とおにぎりでエネルギーを補給しながら、自問自答を繰り返した。「このまま進んでもいいのか」「無理はしていないか」。それでも、武尊山の山頂には立ちたいという気持ちが背中を押した。
最長区間:武尊牧場へと続く過酷な道
エイド2からエイド3までは28.5km。コース中で最も長い区間である。前半はロード、林道と比較的走りやすい道が続いたが、後半は状況が一変。コースは険しさを増し、最後には沢登りが待ち構えていた。
途中で水が足りなくなり、沢水をボトルに補給する。足元はびしょ濡れになりながらも、1km続く沢を這うように登りきる。その後はロープと梯子を使っての急登。正直、心身ともに限界が近づいていた。
武尊山山頂〜エイド3(59km):限界を悟る
ようやく武尊山の山頂(標高2158m)に到着したが、辺りはガスに包まれており、スカイビューは見えなかった。暗くなってきたのでライトを装着し、下りへと入る。
この段階で、残り8kmを1時間で進まなければ関門に間に合わない状況となっていた。体力的にも厳しく、ここでリタイアを決断した。気持ちに余裕ができたことで、ようやく純粋にトレイルを楽しむことができたのは皮肉だった。
エイド3に到着したのは午後7時15分。関門時間を15分オーバーしていた。
初めての収容バスと、静かな内省
エイド3の建物には関門アウトとなった十数名のランナーが集まっていた。計測チップと引き換えに参加賞のTシャツが配布され、川場村への収容バスを待つ。
収容バスに乗ったのは30名程度。車内は沈黙に包まれていた。私も心の中で問いかけ続けていた。「なぜ完走できなかったのか」「もっとできることはなかったのか」。敗北感、悔しさ、後悔、自己嫌悪、健康への不安が複雑に入り混じっていた。
窓の外では、暗闇のロードをヘッドライトの明かりだけを頼りに進むランナーたちが見えた。彼らの背中が眩しく見えた。
健康でなければ、走ることはできない
今回のDNFは、明らかに体調によるものであった。健康でなければ、好きなトレイルランニングすらできないという現実を突きつけられた。だからこそ、今後は病院でしっかりと検査を受け、治療に専念し、健康な身体を取り戻したい。
またこの山に戻ってくる
沢、岩、泥、梯子と、山岳要素が詰まった上州武尊山のコースは、好みが分かれるかもしれない。しかし、私はこのレースが好きである。ヒマラヤニスト・山田昇氏の功績を称えるにふさわしいコース設定だと感じた。
今回は体調不良のために半分しか走ることができなかったが、心身を立て直し、必ずまたこの地に戻ってくるつもりだ。