はじめに
9月25日〜27日の3日間、「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」が開催される。出場するランナーたちは、それぞれの想いを胸に、記憶に残るレースを走ることだろう。無事の完走と、それぞれにとって意味ある挑戦となることを心から祈っている。
一方、私は10月9日〜11日に行われる100マイルレース「OSJ KOUMI100」にエントリーしている。舞台は八ヶ岳東部の松原湖〜稲子湯周辺。トレイル、林道、舗装路がバランスよく組み合わされた32kmの周回コースを5周、制限時間36時間、累積標高8,945mという国内屈指のハードコースだ。これが、私にとって初めての100マイルレースになる。
なぜ、100マイルを走るのか?
「なぜ100マイルレースを走るのか?」
「何を目指しているのか?」
よく聞かれる質問だ。レースを目前に控え、あらためて自分の中の覚悟を確かめるために、この問いに対する答えを記しておきたい。
100マイルという距離の意味
欧米では100マイル(約160km)のレースが、ウルトラトレイルの一つのスタンダードとされている。マラソンにおける42.195kmと同じように、象徴的な距離として認識されている。
一方、日本では2015年時点で、100マイルレースはUTMF、OSJおんたけウルトラトレイル、OSJ KOUMI100の3つしかない。
市民ランナーとしての歩み
私はこれまで、ハセツネCUP、STY、おんたけウルトラトレイル100kmなど、70kmを超えるいくつかのウルトラレースを完走してきた。とはいえ、エリートでもなければ速いわけでもない。いち市民ランナーとして、誇れるような記録は一つも持っていない。
それでも、ウルトラトレイルの世界に身を置いていると、自然と「100マイル」に意識が向かうようになる。
50歳の決断
初めての100マイルは、UTMFを走りたいと考えていた。世界最高峰のUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)の姉妹大会であり、日本一の山・富士山の麓を巡るコースに強く惹かれた。
しかし、2年連続で抽選に落選。モチベーションは下がった。まるで、神様に「本当に覚悟があるのか?」と問われているように感じた。
自分に100マイルを走り切る力があるのか? 本当に完走できる自信があるのか?
何度も問い続け、悩み抜いた。
私は今年、50歳を迎える。その節目に、自分の限界に挑戦してみたいという想いが強まった。最終的に、抽選なしで出場できるOSJ KOUMI100にエントリーすることにした。
覚悟を決めるには、相応の勇気が要る。ロングになればなるほど、レースの難易度は跳ね上がり、苦しさも増す。正直、今でも不安や葛藤は消えない。恐怖すらある。
トレーニングと備え
完走のために必要なトレーニングを計画し、地道に積み重ねてきた。走力の向上は、完走のための最低条件だ。しかし、走力だけで完走できるほど甘い世界ではない。
ギアの選択、レース時の体調管理、補給、水分摂取、天候や気温への対応、膝や足のトラブルへの備えなど、あらゆる局面に対するマネジメント力が問われる。
ウルトラディスタンスの面白さは、まさにそこにある。ただ走るだけではなく、状況に応じて冷静に判断し、対応し、そして進み続ける。その総合力が試される。
想定内と、想定外と
長時間にわたり体を動かす100マイルでは、必ず何かが起きる。筋肉痛、関節痛、マメ、脚の攣り、全身疲労、転倒による出血、内臓疲労からくる吐き気や下痢、脱水、低体温、熱中症…。一昼夜の活動を超えると、眠気も襲ってくる。中には幻覚や幻聴を経験する者もいる。
メンタル面でも、弱気、逃避、葛藤、後悔、関門のプレッシャーといった波が襲いかかってくる。
それらすべてを受け入れ、ひとつひとつ対処しながら、ゴールを目指す。
そのプロセスこそが、まるでゲームのように面白い。苦しければ苦しいほど、難易度が高ければ高いほど、そのゲーム性は高まり、面白さは増す。
確かに、この感覚は「どM」かもしれない。
だが、辛さや苦しさを越えなければ、このゲームには勝てない。
克つべき相手は、自分自身
完走のために必要なのは、自分に克つこと。
「自分に克つ」と心に誓うこと。
これに尽きる。
100マイルレースは、長時間にわたって自分と向き合う旅だ。その間に起こるあらゆる出来事を受け入れ、対応し、前へ進む。まるで人生そのものを凝縮したような時間が流れていく。
マラソンを人生に例える人がいるが、もしそれが本当なら、ウルトラディスタンスは「人生そのもの」と言っていい。
自分のために走る
完走すれば賞賛されることもあるし、それは素直にうれしい。
だが、私は人から褒められたいから走るわけではない。誰かのために走るわけでもない。
私は、自分のために走る。
ひとまわり成長した自分に出会うために走る。
50歳の節目にこの挑戦を選んだのは、これからの人生において、この経験がきっと生きると信じているからだ。
レースを通じて、自分という人間が、どんな困難をも克服できる強さを持っていることを発見したい。
最後に
どこまで走れるかはわからない。
100マイルは、不確実性の塊だ。
だが、自分と向き合い、最後の最後まで楽しんで走りきりたい。
それが、精一杯「生きる」ということだから。