2018年9月15日~17日、信越五岳トレイルランニングレースにペーサーとして参戦してきた。
ペーサーの相手は100mileに初めてチャレンジするモリジー。トレイルランニングチームのRUN OR DIEのチームメイトで会社同僚でもある。
ペーサーとは伴走者のことで、夜間となる後半に選手の安全を確保しながら並走する。100mileは第3関門の黒姫(102km地点)からペーサーをつけて走ることができる。
私は16日の正午あたりから黒姫の駐車場に停めた車の中で待機していた。選手の通過情報のWEB速報サービス「 トレイルサーチ」で選手の途中経過を何度も確認しながら、彼の到着を待ち続けていた。
事前の打ち合わせ通り、エイドを出る度にmessengerにコメントを残してくれた。それでおおよその到着時間は読むことができた。
12時58分のmessenger
「おそらく到着は定刻どおりです。僕はジェルとバッテリーの追加のみ。すぐ出れるように準備をお願いします。」
13時52分、モリジーが黒姫に到着。第3関門の関門は15時30分、20時間。1時間40分の余裕で第3関門を突破。設定タイムに対しては23分の貯金だった。
黒姫エイドでは事前に預けたドロップバッグを受け取ることができる。ドロップバッグからはジェルの補充、ライトの電池とバッテリーを入れ替えた。エイドではボトルのドリンクの補充。それらを手早くサポートして、10分ほどの最短の休憩で黒姫エイドを発った。次の笹ヶ峰グリーンハウスの第4関門は11キロ先、113km地点。関門時間は17時30分だ。
ここまではタイムは順調といえた。しかし、身体にはダメージを受けていた。彼は30km過ぎから古傷の腸頸靭帯炎と戦っていたからだ。痛み止めを飲んで痛みを和らげて、なんとかここまで誤魔化しながら走っていた。
黒姫エイドを出てからゲレンデの登りを経て5kmほどの林道区間から徐々に彼は遅れ出した。後ろを振り返ると5m位の差が開き始めた。痛みに耐えながら既に100km以上、19時間以上走ってきた。何とか周りの100mileランナーについていこうと叱咤するが反応は悪い。膝の痛みに耐えているのだろうか表情が歪んでいる。右足をかばいながらピョンピョンと跳ねるようにしか走れていない。厳しいペーサーと言われようが、何と思われようが何とか完走に導きたい。それがペーサーの務めである。制限時間32時間のこの100mileレースは走れるところはしっかりと走らないと完走は難しいものになるからだ。
トレイル区間に入り、さらに彼は遅れ出した。下りが殆ど走れない。歩くのも辛いようだ。立ち止まって2回目の痛み止めを飲んだ。10分程度で効くはずだというが、なかなか効かなかった。おかしいな、どうしちゃったんだと動揺したように何度も呟いた。15分位して痛み止めがようやく効き始めたようだ。歩きは痛みは軽いが走りと下りはダメだった。
関川の吊り橋の渋滞に巻き込まれ、30分の停滞。膝を休める機会と捉えることも出来たが刻一刻と無情にも時間が過ぎていく。第4関門時間の17時30分まで30分を切った。もうすぐ笹ヶ峰に着くはずだが、歩いていては間に合わないかも知れない。ペーサーの務めは無事に関門を通過させてゴールに導くこと。叱咤激励するが付いてこれていない。この関門を突破できなければレースは終わってしまう。恨まれようが何だろうが構わない。
「走れる限りは走れ!絶対に諦めるな!」
ようやく笹ヶ峰エイドが見えてきた。「よくここまで頑張った!」関門通過する直前に二人で握手した。熱い思いが込み上げてきて自然と涙が出てきた。
17時11分、第4関門突破。関門時間19分前、設定タイムに対しては4分の貯金だった。
彼が少しでも楽になればと願って、エイドでテーピングのサービスを受けさせた。カレー、オレンジなど補給をサポートした。彼は食欲だけはしっかりあった、眠気もない。悪いのは膝だけ。RUN OR DIEのチームメイトのワッキーはエイド前に座り込んでいた。ワッキーはここでドロップするとのこと。「ワッキー、お疲れ様!」と労をねぎらった。夜間に突入するためライトを装着して笹ヶ峰を発った。次の西登山口まで13km。
牧場のなだらかなアップダウンを1.5kmほど進んだろうか、突然、モリジーが立ち止まった。少し歩いては痛みで立ち止まり、数歩走っては痛みでまた立ち止まる。激痛で表情が歪んでいた。ペーサーは選手の安全を第一に配慮しなければならない。今の状況を総合的に判断すると私たちの選択肢は1つしかないだろう。彼に厳しい選択を迫らなければならない。
「このまま前に進むか、笹ヶ峰に戻るか、選択肢は2つ。どうする?」
と彼に問いかけた。長い沈黙。心の中で葛藤しているのだろう。
「ここで止めます」
決して口に出したくない言葉であったろう。決して認めたくないことだ。しかし、今の状況では次のエイドに進むことは出来ないだろう。
「痛みに耐えて、ここまでよく頑張った!お疲れさま!ナイス、ファイト!」
本当に悔しい時に人は涙を流すものだ。モリジーは肩を震わして泣いた。最後まで完走を目指していた。完走することしか考えていなかった。これまで、そのための努力をし続けてきたからなおさら悔しいはずだ。彼に掛けてあげられる適切な言葉が出てこない。彼の震える肩に手を置いて、これまで痛みに耐えて頑張り抜いたことをねぎらうことしか出来なかった。
すれ違う選手たちに、激励の声を掛けながら、二人で笹ヶ峰まで歩いて戻った。既にエイドの撤収が殆ど済んでいるなか、係員にドロップを宣言してゼッケンを返却した。こうして私たちの100mileへの挑戦は113km、約22時間で終わりを迎えた。
回収バスを待つ間、笹ヶ峰グリーンハウスの自販機で買った缶ビールで乾杯した。
「最高に美味いけど、何でこんなに苦いのかな」
彼の言葉にはドロップした悔しさが込められていた。
ウルトラディスタンスレースは自身の身に何が起こるか誰にもわからない。脱水症状、眠気、胃腸の不調、ハンガーノック、身体のどこかが痛み出すなど。何が、いつ襲ってくるかはわからない。まるでロシアンルーレットのようだ。大抵はその人の一番の弱点を突いてくる。私の場合は胃腸が弱いので腹を下すか、補給が取れなくなることが大半。彼の場合は腸脛靭帯炎だった。どんなトラブルが来ても大丈夫なようにそれらに備えて、あらゆるトラブルを最小限に抑え、それらを乗り越えた者が完走を手にすることができる。そんなことをあらためて認識したペーサー経験だった。