2022年4月22日〜24日に開催された富士山麓をコースとするトレイルランニングレース、ウルトラトレイル・マウントフジ ULTRA-TRAIL Mt. FUJI(UTMF)。
それはまるでお祭のようだった。
2012年の第1回開催以来、いつかはUTMFに出場し、完走してみたいと夢を胸に抱いてきた。
今回、初めてUTMFに出場し完走を遂げた。
10年目にして、ようやく大願を成就した。
今回の完走には私的サポート役の存在が大きかった。もし単独での出場だったら心身の状態が落ち込んだ時点でリタイアを僕は選択していただろう。
トレイルランニング仲間のモリジーに私的サポートをお願いした。彼は2018年、2019年と2年連続で信越五岳トレイルランニングレース100マイルの完走を目指していた。僕がそのペーサーを務め、2018年はDNF、2019年にリベンジを果たし100マイルを完走。その時の恩返しをしたいと私的サポートを自ら申し出てきた。
私的サポートの主な役割は、指定されたエイドステーションで、選手の補給食などの入れ替え、食事、着替えなど、選手がエイドステーションをスムーズに出発できるよう選手をサポートすること。もちろん、選手を鼓舞するだけでなくタイム管理や状況に応じたアドバイスなども求められる。
UTMF2022では9つあるエイドステーションのうちU2麓、U4富士河口湖町精進湖、U5富士急ハイランド、U7山中湖きららの4箇所で選手のサポートができる
START富士山こどもの国〜U1富士宮(累積距離21.5km)
22日 15時30分 第一ウェーブからスタート。15分間隔で第4ウェーブまである。MCが会場のテンションを高める。鏑木毅氏の挨拶の言葉ですでに感極まってしまう。スタート5分前、UTMFのテーマ曲「Out of This World〜遙かなる旅〜」が流れた。気持ちが最高潮に高まる時だ。この憧れの場所に立つのに10年間。走ってきた数多くのレース時の様々なシーンや抽選で落選した時の悔しい気持ちなどを思い出したら、胸が熱くなり、泣きそうになった。16時15分の第4ウェーブで、僕の長い旅がスタートした。
心配事がひとつあった。先月に腰椎横突起という骨にヒビを入れた。4週間、練習できなかった。医師からはUTMFの1週間前に完治すると言われたが、レース中に腰の痛みは出ないのか?ということが不安だった。もしレース中に腰の痛みが再発したら大事をとってリタイアしなければいけない。夢を諦めること。これも運命と受け入れる覚悟をして臨んだ。
最初のエイドステーションのU1富士宮までの21.5kmの区間は下り基調。前半16kmは走りやすい林道で渋滞はない。後半は送電線の下にあるトレイルが続く。トレイルにはいくつかの谷を横切るところがあり、そこが渋滞ポイントになった。
U1富士宮に着く前に暗くなり、トレイル脇でヘッドライトを装備した。
暑さのせいだろうか、それとも怪我で練習が不足していたから筋肉が疲労しているのか、早くも身体が怠く、脚が攣りそうだった。
U1富士宮には、19時9分着。水分補給のみですぐにエイドステーションを後にした。
私的サポートとの連絡のために各エイドステーションのアウト時間、体調などを報告することにしていた。「富士宮19時10分アウト、脚が攣りそう」とMessengerに打ち込んだ。
U1富士宮〜U2麓(累積距離43.2km)
20日にコース前半のボスキャラ、天子山地を迂回するコース変更が発表された。この区間距離は7.4km短縮されて21.7km、累積獲得高度は1,185m少なくなった。
迂回路は泥濘や水溜りが多く、シューズが泥まみれになった。粘る泥が重りのように感じられ疲労を蓄積させていく。
U2麓には、22時58分着。モリジーと合流。温かい食べ物が欲しいとカップスープをもらい、お稲荷さんを食べた。深夜の山岳パートに備えて、防寒着を着込み、用意したサーモスはエイドステーションでホットコーヒーで満たした。
前半部で早くも身体の怠さと気分が良くない。
「気分がよくない」とモリジーに体調を伝えた。
「ゆっくり休んで行きましょう」とモリジーからは前向きな言葉を返された。
次は、U3身延町本栖湖、U4富士河口湖町精進湖の山岳パートを深夜時間帯にアタックすることになる。体調、寒さや眠気のことを考えると不安しかなかった。
続く