本日は8/22、このタイトルでブログを書くのは最後になると思う。未だ収束の目途は立たず、社会は分断されつつある。しばらくはこのウイルスとともに生きていかなければならないということは、とても厄介な事実だが、それを受け入れる以外に方法はなく、その後に訪れる社会や価値観の変化に対しても、私たちには、柔軟に受け入れる準備が必要なのだ。このタイトルのブログ1と2で書いたことの多くが現実となりつつあるが、いくつか違っていることは、ショート、中距離までのローカルレースの復活が、依然として行われにくい環境であるということです。首都圏と地方とではやはり温度差があり、ボランティアを中心としてローカルコミュニティーの存在なしには開催ができないトレイルランニングレースは最後になると覚悟をしている。そういう意味でもKOUMI100でのOSJの運営に期待し、1つのマイルストーンを示してほしい。おそらく、ヨーロッパ型というかUTMB/UTMFのような数千というランナーが走る大会は、ウイルスやワクチンといった観点だけでなく、人の気持ち、情報のリテラシーが行きわたらない限り、ここ数年は無理でしょう。アメリカ的な数百人規模、大会によっては100人前後で、時差スタートが主流になるのではないでしょうか。主催者はそれで採算が合う運営、ランナー側も地元のおもてなしは期待せず、お祭りのようなスタート・ゴールがなくても、走り切った喜びとレーススタッフの拍手があれば、ゴールの喜びは自らの心の中に自然と湧き上がることを感じてほしい。
ロードレースではグロスタイムという公認記録へのこだわりと給水方法に大きな壁があるようだ。湘南国際マラソンがマイカップ+500ケ所給水によって、ゴミの排出を抑える試みを行う。環境問題への対応が目的と理解しているが、給水個所を増やすことで感染リスクを抑えることになる(開催可否の決定は12月)。ここに時差スタートを加えれば、スタート時の密も防げるはずだが、陸連公認記録ではなくなるわけだ。そもそもこのマイカップ給水はサブ3以内で走るランナーにはかなり酷ではある。一度落ちたスピードをもう一度立て直すエネルギーは大きなタイムロスになることと、前の選手が急にペースを変えることでの怪我のリスクもある。エリート、準エリートランナーは別な形で競技をしてもよいと個人的には考える。市民マラソンは陸連公認記録へのこだわりはいったん捨てて、一般市民ランナーのためにレースの機会を提供してほしい。給水方法を変えることで、大会の開催が可能になるのであれば、ランナー側もそれも受け入れるしかないのだ。もちろん私レベルのランナーは、一番小さいレースザックにフラスコを挿して、トレラン装備で走れば全く問題なし(笑)、前の選手の挙動に気を付けるのは言うまでもありません。そしてなによりも、あの紙コップのごみの山がなくなることを考えれば大歓迎だ。
一方でエリートレースである箱根駅伝は絶対にできるはずだ。沿道応援自粛の替りに、カメラ台数を大きく増やし、ウエブ配信し、スポンサー離れを食い止め、メインの地上波とは別に、各大学のOBによる応援の偏った○○大学チャネルでもあれば、自宅でビールをのみながら、正しいお正月を過ごせるはずだ。数百人の学生のエリートレースができないなら、この国のスポーツ文化などそんなものかと悲観する。無観客であっても新しい様式、運営の在り方、健全な新しいお金の流れを模索すべきなのである。それがオリンピックで提案されればよいのですが….
レースのないこの夏は、バーチャルレースを楽しんだ。これまでのリアルなレースが非日常なのに対して、このバーチャルで距離や累積を積み上げるのは、日常の一部としてランニングをどう楽しむという趣向が大きく異なるものでした。比較的簡単な月間100マイルを選び、故障明けのため、丁寧な接地のジョグで走り終えた。リアルなレースのような達成感はないのだが、この時代をランニングと共に生き抜いた証として、皆さんも1つはチャレンジされてはいかがでしょうか?
以前、自分はFastest Known Time (FKT)に関して否定的な考えを持っていた。トップランナーだけに許される世界というイメージを持ったからだ。しかしながら自分がログをStravaに移行してから少しずつ意識が変わった。区間(セグメント)を過去の自分、あるいは他の人と比較しながら向上を目指すのであれば、それなりに面白い。もう少し涼しくなったら、自分の区間記録をあちこち調べて自分なりの成長、いや衰退のスピード鈍化という哲学的な喜びを味わっていこうと思う。
私たちは今、レースなき時代を走りながら、新しいレースの形を模索しているのである。