難所だった圏谷セクションをなんとか終えて、ゴールまで残すところ50キロほど。まだ先は長いとはいえ、すこし先が見えてきました。
長い下り
標高2030メートルにあるマイド(Maïdo)から標高350メートルにある124.7キロ地点のサン・スシ(Sans Souci)までの14キロは、序盤に緩やかな上り下りがあった後は一本調子の走りやすい下りが続きます。
暖かい服装でマイドをスタートしたものの、何キロも走らないうちにすぐに体が温まって暑くなり、一度立ち止まってさっき着たばかりの上着を脱いで、ふたたび走り始めました。
ここまで来ると十キロ以上続く走りやすい下りも「走らされる」感じで堪えますが、我慢して脚を回し続けます。眼下には闇の中に海岸線沿いのサン・ポール(Saint-Paul)の街明かりが浮かんでみえますが、景色を楽しむよりも早く下り終えたい一心です。
疲労のピーク
長く感じた下りを終え、サン・スシに到着したのは金曜午後10時30分。脚を使わされる区間で疲れましたが、止まっていてもゴールには近づきません。コーラやスープをゆっくり摂った後、先へと進みます。
歩きにくい短い下りと平坦な砂利道を過ぎ、飛び石伝いに川を渡ると、登りが始まります。
眠気はないものの、スタートから24時間を超えて疲労はピーク。ペース云々より、とにかくゴールまでの距離を埋めるために前へと進むことしか頭にありません。標高600メートルほどの山をただ淡々と上り続けるものの、ペースは上がらず、途中で寝ていた人にも抜かれてしまいました。
山を登り終えたあとに迎えたセクションは歩くのも大変な藪の中。手を使って木や石につかまりながら進みました。
それでも143.2キロ地点のポセッション(Possession)では、待っていた妻に元気な返事をするくらいの余裕は残っていました。念のために妻からジェルなどの携行食を受け取り、「ゴールで待ってるよ」と見送られました。
膝を破壊する石畳
ポセッションを過ぎてまもなく、シュマン・デ・ザングレ(Chemin des Anglais)が始まります。かつてイギリスがレユニオンを占領していた頃に作られた、火山岩が敷き詰められた石畳の道です。
この石畳の区間は大変そうだという情報は、いちおう事前に頭の中には入れていました。でも実際に来てみると、今まで体験したことのない類の、想像以上にタフなセクションでした。綺麗に並べられた石畳ならまだしも、不揃いに置かれた石の上を数キロにわたって渡り続ける道は、変に踏み外そうものなら簡単に捻挫します。
こんなガタガタな石では足を着地したときに膝の位置が定まらず、しばらくするとちょっと膝が痛くなってきました。石畳は150キロ地点にあるエイドステーションをまたいで続き、さすがに心が萎えました。
やっとゴール
全くペースが上がらなかった石畳をなんとか終えたころに、レースが始まって二度目の朝を迎えました。
そこからは、なんとか気力を振り絞って走りはじめるも、しばらくしてくたびれて歩きだし、また気力を出して走っては歩くの繰り返し。
次第に気温が上がっていく中、ただゴールを目指して進むと、やっと最後の山の頂上となる159.3キロ地点のコロラド(Colorado)に到着。ここからゴールのサン・ドニのラ・ルドゥト・スタジアム(Stade de la Redoute)までは、テクニカルながらもなんとか走れる下りを残すのみです。
トレイルを下りきり橋の下をくぐると、まもなくスタジアムが左手に見えてきました。
スタジアムの入り口で待っていた妻に軽く合図を送り、まだ朝早く観客も少ないスタジアムのトラックを走りぬけ、やっとのことでゴール。これまで経験した100マイルのレースでは、ゴールの瞬間はいつもとにかくレースが終わったことにほっとするだけだったのですが、今回は安堵感に加えて達成感か充実感か、ちょっといつもと違う気持ちが去来しました。
振り返り
今まで経験した中では最もテクニカルなコースで、こうしたコースが不得意な私には当然きついレースでした。とりわけマファト圏谷の最後の上りは「常軌を逸している」としか思えないキツさ。でも、バラエティに富んだトレイルと圏谷の眺望は素晴らしく、またエイドステーションのボランティアの方々も心からサポートしてくれて、終わってみると本当に楽しいレースでした。島を上げてのお祭りは、多少常軌を逸しているくらいのほうが楽しいのかもしれません。
アメリカからだとフライトだけでも20時間以上、乗り継ぎも入れると24時間を超えるほどの遠方で、なかなか簡単に訪れることができる場所ではありませんが、是非また機会を見つけて参加したいと思います。
自分の走りに関しては、33時間44分07秒で総合59位と、スタート前に予定していた32時間〜34時間の範囲になんとか収めることができました。
序盤の転倒は大事には至らず、終盤にややペースを落としたものの大きく崩れることもなく、妻の協力もあって無難にレースマネージメントができました。未知のコース、得意ではないテクニカルなトレイルであることを考えると、ベストとまでは言えないまでも、悪くない結果でした。
上り下りの多い時間がかかるコースで、また歩いている時間も多かったこともあってか、レース後は肉刺もほとんどなく、脚へのダメージも案外少なかったように感じます。レースの二日後には山の中を長い距離歩いていました。
最後に
最後に、この大会に参加しようという方へ。レースに参加するだけでなく、少し時間をとってレユニオンのいろいろな面に触れることを心からお勧めします。
山だけでなく海も文句なく美しいですし、見たことのない鳥や魚などにも遭遇できます。時間はゆったりと流れ、人は優しく、治安も良い。加えて胃が強い私はまだしも、普段旅行先ですぐに日本食に走る妻でさえ毎日食べても飽きない現地の料理は、インドや中国などアジアの影響を受けていてとても美味しいですよ。
走る”バカ”のお祭りを満喫して、本当に楽しいバカンスでした!
(おわり)
2 コメント
[…] (つづく) […]
[…] ← 前へ […]