ようやく86km地点の第3関門に到着。切り崩した貯金は1時間になってしまった。
ここでスタート前にドロップバッグを預けることができる。受け取ったドロップバッグから補給食をザックに手早く入れ替えた。ドロップバッグに忍ばせたコーラを喉に流し込む。落ち込んだ気持ちがほんの僅か生き返る。濡れたTシャツは着替えた。こんな些細なことでも気分が切り替わる。足に酷い豆ができていた。ソックスを履き替えたかったがドロップバッグに入れてこなかったことを後悔した。
痛めた足底の状況を見ればここで走るのを止めることもできた。118km地点の第4関門は32km先。ギリギリ間に合うかもしれない。ほとんど走れないがここで止める理由はない。行ける所まで何処までも行きたい。10分程の休憩でエイドを後にした。
トラブルを抱えている時に限って、さらにトラブルに見舞われる。人生の展開はいつだって無情なもんだ。左足の痛みを庇っていたら、今度は右膝が痛み出した。下り坂が泣きたいほど辛いものになった。痛い!痛い!痛いっ!。一歩毎に足に激痛が走る。畜生!何だってこんなにも痛むのか?これ以上、運動してはいけないと肉体が脳に信号を発する。これが痛みの仕組みだ。もうこれ以上動くなってことだ。満身創痍じゃないか。身体だけでなく心もボロボロだった。
下り基調の林道が続く。歩きとジョグを何度も繰り返す。下りをまともに走れないなんて情け無い。何十人ものランナーにパスされる。あっという間に前を行くランナーが見えなくなる。苦痛と孤独との闘いが続いた。
林道を下り切ったところから1回目の周回コースに入る。100マイルの部は2回の周回コースを取って100マイルのコースとしている。スタッフがゼッケンを確認して周回コースへ誘導する。5kmほどの川沿いのロード区間。緩やかに登っていくロードを全く走れない。途中に100km地点を表すコーンがあった。あと60kmもあると思うと絶望感しか持てなかった。
ロード区間が終わり、再び登りの林道になった。そこからが絶望的に長く感じた。ONTAKEは10km前後の距離を500m程度登り、さらに10km前後、同じような標高差を降りるのが複数あるのが特徴だ。ここもそのような上り坂だった。ガレた登りの林道をひたすらに歩き続ける。激痛との闘いは正に苦行のようだった。登りが終わるのはまだか、まだなのかと悪態をついた。ようやく第3関門と同じ位置にあるエイドに到着した。休憩することなく、ウンザリしながら2回目の林道へ進んでいった。
刻一刻と第4関門閉鎖の時間が迫ってきた。関門突破が無理なことは決定的だった。第4関門の4km 手間の滝越エイド、114km地点で終了となるだろう。なんとしてもそこに辿り着かないといけない。前後に誰もいない。孤独な林道を歩き続けた。滝越エイド到着する前で、無情にも関門時間は過ぎた。
ほどなくループの終点に到着。これ以上は進んではいけません。ループ起点終点をチェックするスタッフがゼッケンに線を引き、チップを回収した。僕の2回目のONTAKE100マイルレースへの挑戦は113kmで終わった。今回も完走は叶わなかった。
回収車で会場に戻った後、20時の最終関門間際まで、フィニッシュを迎える沢山のランナーを見ていた。歓喜の表情を浮かべる者、悔しさをにじませる者、家族や仲間とともに笑顔でフィニッシュを迎える者とそれぞれだった。いつ見てもこのシーンには感動を覚える。誰もが苦痛、不安、絶望、後悔などの感情をレース中に抱いたと思う。長時間に渡り、個々のランナーがそれらに向き合い、懸命に乗り越えてきたことに対して賞賛しかなかった。
故障さえなければ、僕は完走できたのだろうか?正直言えば、実力不足と認めざるを得ない。今回も完敗だった。ONTAKE100マイルの制限時間は24時間しかない。走れるところは走り抜くことが必要不可欠。何らかの理由で走れなくなれば命取りになる。このレースの完走は本当に困難なことなのだと身に染みて分かった。
苦痛と闘ったレースでも日が経つ程に楽しい思い出に昇華してしまう。不思議なことだ。人間という生き物は辛いことを忘れるようにできているようだ。現在の心境は、もう一回、ONTAKE100マイルにチャレンジしようと思っている。自分にとってのONTAKE100マイルはできるかできないかわからないギリギリのものに挑戦することだ。そんなものが目の前にあって挑戦しないという選択肢はない。だからもう一回チャレンジする。次こそはリベンジを果たしたい。