富士登山駅伝は、個人競走の富士登山競走と異なり、駅伝形式で御殿場ルートで行われる伝統ある大会だ。駅伝といえば、箱根駅伝、実業団駅伝など、自分の仕事柄、その裏舞台を垣間見ることがあるが、やはり駅伝はチーム戦であり、華やかな選手だけでなく、その何倍もの人と物が動いている。ということは、いわゆる人数と資金力、時間のあるチームが有利だ。究極の例だと、自動車のF1レースでは、ワークス(企業)チームが圧倒的に強い。この富士登山駅伝の場合、ワークスは自衛隊の各チーム、というのは言い過ぎだろうか? 普段は国防、災害救助に従事しているわけで、プロではないのだから、ワークスという比喩はあてはまらないかも知れないが、持って生まれた身体能力と日頃からの鍛錬は、やはりフィジカルエリートだ。そして統率のとれたサポート体制と集団行動は一般の部のチームを圧倒する。さらには一般の部でも、おおきな組織のロードランニングクラブが強い。ロード区間での速さはトレイルランナーではとても太刀打ちできない。出場しているのはロードランニングチームがほとんどであり、自分たちにとっては、いつものレースとは全く雰囲気の異なる、完全アウエイなのである。なにせ、ランシャツはインですから。(そこへ、裸で挑んでいたミニマリストサポートもいました。誰だかはわかるでしょう)
今回、自分がサポートする「すぽるちば」はその中でも精鋭を選抜し、サポート体制に関しては、先輩チームの平成山岳会、こあしす山民会のアドバイスをいただき、さらに、我々の経験不足を補うために、こあしす山民会との共同サポート体制をとなった。
今回、選手ではない自分のモチベーションがどこにあったかと考えると、初出場のチームが、いわば完全アウエーでどこまでやれるか、そしてプライベーターである自分のチームで、ワークス(自衛隊)を喰ってやる! というところだった。選手でなくても十分にモチベーションのある2日間となったわけです。
自分の担当したサポートは、4区と5区、7区と8区の中継点、標高2000mより少しあがった地点、2合8尺地点である。日出とともに、でできるだけよい場所をとるため、5合目太郎坊より、補給物資やスペース確保の資材を歩荷して4km 700mほど登る。ここで既に自衛隊を見つけては、勝手に勝負を挑んで抜き去っては喜んでいた(子供だな) ポイントでは待機する選手のストレスを取り除いてあげるのが役目。スペース確保、体温調整、補給、トイレの順番待ち代理、などなど、あっという間に時間は過ぎて行く。
監督であるのりさんが作成したタイムチャートと各地点からの連絡で、到着時間を予測する。正直言ってタイムチャートは初出場である自分たちにとっては机上論であり、過信してはいないか心配ではあった。ところが各区間の選手が少しづつ想定タイムを短縮していく。そういう意味では監督の各区間の設定タイムは、個人の性格も考慮した絶妙な設定だったのかもしれない。はたまた単なる偶然なのか(笑)? 山頂区間の西くん(チーム内最年少)が設定を数分上回るタイムで折り返してくる。選手が下り始めたら、あっという間だ。自分の担当した2合8勺は毎年、ダイブ、回転しながら襷渡しが行われる中継ポイントでもある。この7区、8区を見ていると、ランニングとは全く別の競技であることに気付く。腕を上げてバランスを取りながら、空中を落ちていく、そんな表現しかできない。自分には絶対無理だ(笑)
公式リザルトをまだ確認できていないが、4:29ほど。次回大会出場シードとなる4:40を大きく上回り、一般の部では20位番台、自衛隊とあわせた総合順位でも中位より上である。ワークスを喰ったのである。愉快痛快。そして選手達の充実した顔がとてもうれしい。自分はどうやらサポートという役目が性格的にも合っているように思える。たぶん、来年も山の区間でサポートしているだろうな。