幾度か1964年の東京オリンピックと、1998年の長野オリンピックの公式写真集をみたことがある。地域の図書館には必ず置いてある一冊なので一度読んでみることをお勧めします。そこには躍動するアスリートの美しさと、いくつかの舞台裏が写されていた。その対比となるのだが、今住んでいる東京、そして長野に行くとよくわかるのは、オリンピック後の光と影、とくに影の部分が必ずあるということ。ハードを中心とした箱物を造っても、どこまでスポーツが文化として根付くのか、それは私たち次第であり、現在のオリンピックに関わるお金の流れが決して持続可能なものではないということが、今回ではっきりしたはずだ。一方で、オリンピックでマイナーなスポーツが普及するきっかけとなる側面がある。普及や選手育成に必要なキャッシュフローと選手が生活の糧とする持続可能な仕組みづくりを模索することができる。
1998年の長野オリンピックに新競技として採用されたのは、スノーボードだ。当時はスノーボード禁止のスキー場が多く、滑走可能でもここだけと指定されていた。今では考えにくいことですが事実です。ランナーにとってもっと身近な競技で言えば、女子マラソン(新競技ではなく新種目ということか)は1984年のロサンゼルスオリンピックからのことで、比較的新しい種目なのです。それまでは、女性がマラソンを走るなど健康に悪いという理由で採用されていなかった。これも今では考えられない。このきっかけがなければ、女性ランナーの皆さんは、100マイルを走ることはもう少し後になっていたかもしれません。
多くのトレイルランナーが体験を始めたスキーマウテニアリング(SKIMO)が2026年の冬季オリンピックの追加種目に決定された。これから先、日本の多くのスキー場でSKIMOが手軽に体験できるようになることを期待したい。それには競技性よりも、普通のアウトドア愛好家にSKIMOそのものの魅力を普及するコンテンツをどれだけ用意できるかにかかっているでしょう。そうでなければ、トレイルランナー以外はやりたいとは思わないのではないでしょうか。雪山で行動範囲を広げる素晴らしさをどう伝えていくか、なかなか難易度の高い事になると思う。
この夏の東京に新しく加わった新競技に、スケートボードとスポーツクライミングがある。スポーツクライミングはもともと、広い意味での登山技術であった人工登攀から、支点に自分の体重をあずけることなく登るフリークライミングへと変化し、それが自然の岩場から、箱物競技へと形を変えたものなのです。この箱物(壁とホールド)競技を中心とするクライマー達も自然の岩を登る。そうすることでクライマーとしての本能や自然な動きを呼び覚まし、また競技へと戻っていく。競技であっても、本来は岩と対峙することが根底にあり、その習慣が今も残っていると感じ取れるのは、ボルダリング競技前のオブザベーションの時間です。選手には事前にホールドの位置や形状は知らせれておらず、競技開始前の数分間でそれを見て戦略を立てるのですが、ライバル選手同士が意外と気楽に話し合うのです。現実にはシークエンス(手順)や核心部分のムーブなどトライしてみなければわからない。とはいえ、相手がある競技であれば、少しでも手の内を見せることは躊躇するはずだが、クライマー達は、勝負するのは目の前の相手ではなく、壁だ(自然なら岩)ということがよくわかっている。そんな光景をみるとスポーツクライミングは原点を忘れずに今後も健全な形で発展していくだろうと肌で感じている。
そしてスケートボード、これがスポーツかという意見があると聞く。たしかにそうだ、本来は遊びだ、いや、ちょっと待て、他の多くのスポーツだって元々は遊びじゃないか?だから、ライバル選手同士でも大技を決めればハイタッチし、自分のことのように喜ぶのだ。どんなプロでも遊びから始めたのだから。これから先、どんな競技志向の発展の仕方をしても、根底にあるのは仲間同士の遊びであり、選手同士がリスペクトするカルチャーを忘れなけれないで欲しい。そして日本の街中からスケートボードを追い出す張り紙がなくなることを願って止まない。
(2021年夏、東京オリンピック、スケートボードストリートで堀米雄斗の金メダルの日に記述)