逆走ゲーム
開催の直前になってコースが大きく変更された。経緯はオフィシャルサイトにて説明されており、鏑木氏も幾度となく謝罪されているので、この点を批判するつもりはありません。むしろ開催してくれたことを感謝し、この逆走による弊害を予測しながら、ゲームとして楽しもうと準備をしてスタート地点に立ちました。
①子の神(ねのかみ=杓子からの下り)のロープ場渋滞を避けるために、そこそこ突っ込んでしまえ!でも一番やってはいけないことだろうな(笑)
2012年の時計回りのときに、後方2/3程度の位置で待った時間が15分ほど。100マイルレースの長い時間の中では許容の範囲だ。身体を冷やさないように、さっとアウターを羽織れば問題ないはず。しかしながら今回はエントリー者数も増加しているし、その後の関門設定が厳しく、中盤〜後方の選手までもが序盤に無理をしてでも突っ込んでくるはずだ。自分はマイペースで入りたいところだが、A1までを少し早めに入る設定をした。ところが周りが速すぎた。50マイルレースのようなペースで三つ峠を登って行く。自分もそれにつられてオーバーペースとなり、くすぶっていた故障箇所を庇うような走りをしていたら、両足ふくらはぎが痙攣してしまう。おいおい、100マイルのうちのまだ10マイルほどだぞ。この先、どうなってしまうのやら(泣)
②交通規制解除時間に起因する関門時間の偏り、どうせなら楽しんでしまえ!
関門を意識して無理してくる選手で渋滞が加速することまでは想定していたけれど、さらにけが人の搬送で大渋滞というのは想定外だった。私の位置で45分止まっている。主催者も関門時間の変更を決断。交通規制を考慮すればギリギリのラインだったのではないだろうか。ただし、自分としてはこの仕掛けられた逆走ゲームを楽しむために、オリジナルの関門設定時間にこだわった。これぐらいで走れなければ、後半の天子山塊は危なっかしくて登らせないよと、主催者からチャレンジされているような気がしていた。最終的にオリジナルの関門時間をクリヤーし、ゲームを楽しむことができたかな。次回は勘弁して欲しいけど(笑)
③エイドスペースは、本来反時計周りのランナー通過数で確保されているはずだ。一晩目と二晩目が入れ替わった上で、STYが加わる。だから仮眠環境は期待できないだろう。だったらエイド内ならどこでも寝てしまえ!
結果的に使用しなかったが、昨年、仮眠スペースが見つからず、二晩目に大きく失速した経験から、エイド内であればどこでも仮眠できる用意をしていた。今回は一晩目に15分ほど、二日目に15分を3回、エイドの仮眠スペースで毛布にくるまって仮眠することができた。おかげて今回は幻覚症状はなし。100マイル4本目にして鈍足ランナーのサバイバル術に磨きがかかってきている。
心の移り変わり
過去3回の100マイルレースでは、自力下山ができるという範囲ではあるけれど、どんなにキツイ状態でも、やめよう、リタイアしようとは思わなかった。ところが今回は、序盤で脚の痛みを感じてから、やめたい、というより、これは最後まで行けない、ならばここでやめよう、という心理状態が続いていた。年明けの故障から練習不足、身体の準備ができていないと、心まで弱ってくる。ただ、少しずつ、好転していく。長い100マイルレースの中で体調の浮き沈みがあるのはもちろん承知していたが、心理面は自分次第と考えていたところがある。でも、心も浮き沈みするもの、そしてそれは自分ではどうすることもできなくても、なにかをキッカケに好転するもの、ということを学んだ。そこが今回の一番の収穫だと思う。9月にOSJが40km x 4ループの100マイルを計画しているが、怖いもの見たさにエントリーするつもり。まさしくこの心の移り変りを感じ取れるレースになるはず。1周目から4週目までどのように移り変わるのだろうか。
後方選手に対して行われる名物、六花先生メディカルチェック!開始時間前だったのですが、 Parkの石井さんがカメラを持って待機していたので、ドクターストップがかかったら、それもいいネタかなと思い、自ら志願して今年の第一号を勤めさせていただきました。改めて思うのは、六花先生は、屈伸などあまり見ていないのではないかということ。選手の目、表情を見ている。なにかトラブルを抱えている選手はその不安や弱気がそこに出るのだ。この時、自分の序盤の弱気は消えていた。
その場所へ(A10本栖湖)
100マイル(今回は105マイル=169km) の試練はよく120kmからと言われる。少しでもその苦痛を和らげてくれる場所が仲間がいてくれるエイドだ。所属するチームはエントリーが多く、走力差も幅があることから(というか私がダントツ遅いw)移動しながらのサポートを受けることはできない。ここA10が唯一、タイミングによっては会うことのできるエイドとなる。人間はとても弱いもので一人で100マイルを走り続けることはできないと思うのです。競技としては一人ではあるのだけれど、知人に会って挨拶をかわし、選手同士ならば、しばらく並走しながら気を紛らわすことが重要となる。お会いした事のない方でも、名前を言うと、このブログを読まれている方だったりすると、とてもうれしいものです。悪名高い送電線下トレイルは、捻挫から復活してきたRBRG桑原さんの軽快なトークで退屈せずにあっと言う間でした。
本栖湖のエイドは138km地点、STYのボリュームゾーンが追いついてきて混雑していたが、仲間がタイミングをみて、すぐに椅子を見つけ出し、座らせてもらい、迅速に補給、仮眠をすることができた。自分のチームだけではなく他の選手のサポーターも抽選にもれて走れなかった人が多いはず。自分はそういった人たちの想いも勝手に背負い込んで走ったつもり。だからやめるわけにはいかないな。それにしても眠いよ〜
美しきかな
40時間以上走っていると、息をのむような光景に出会うことがある。今回、唯一自分でシャッターを切った1枚が下の写真。2晩目を越し、脳が疲れて感情も繊細になっていたのかも知れない。でも私だけではないはず。写真からもわかるように、後方選手とはいえ、みな立ち止まって撮影している。本栖湖パノラマ台で朝陽が登ってくる数分前、湖に浮かぶ霧と朝焼けが幻想的だった。
再会
こちらのブログリンクをご一読ください。去年の夏に穂高連峰を縦走したときに出会った青年がにA9(麓)エイドでボランティアをしており、「去年夏、穂高にいませんでしたか?」と声をかけられた。その時はジャンダルムで会った青年かと勘違いし、理解できなかったのだけれど、ゴール後にTシャツを見て記憶がよみがえった。「あ、槍の手前の水場で会話したあの青年だ!」写真を撮って名前を聞けば良かったと少し後悔。UTMFはすべての山好きな人のイベントでもあって欲しい。トレイルランニングのお祭りのように表現されるが、それだけに終わらせてはいけない。地元の方々、山好きの方々、自然を愛する方々すべてにとってすばらしいイベントとして成長していくことを願う。メディアやSNSで論調される対立構図はほんの一部の話だよ。少なくても自分の周りではね。
私自身がスポーツメーカーに勤めているので、マーケット規模からスポンサーが拠出できる金額はおおよそ想像がつく。トレイルランニングレースは本当に地方自治体、ボランティアの協力がなくては成立しないイベントだ。ロードランニングのレースよりもその依存度は高い。だからトレイルランニングだけに関わらず、アウトドアスポーツに関わるすべての人々、その地域を愛する地元の方々と一緒に創り上げて成長していく必要性があるはず。それができて初めてUTMBにおけるシャモニーのような光景が生まれるはず。トレイルランニングという世間ではまだちょっと変わった(というよりかなり変な)スポーツ愛好家のマニアックな集会に終わせたくないなと思うのです。
おまけ
この写真がとても面白かったので。夜明けを迎えて、樹海の中はとても気持ちよく走れたのですが、赤池橋から鳴沢氷穴までのダラダラ舗装路登りは一歩も走らず全歩き。飽きるわ、眠いわ、走れないわでこんな感じでした。左端に写っている方のように、そのまま地べたに毛布を敷いて15分寝ました。
追記:あ、ゴールしましたよ。43時間台、順位もタイムも昨年を下回りましたが、現在の身体の状態でよくやったなというのが正直なところ。そしてまた1つ経験を積めたのがなによりうれしいこと。そして今、食べまくってますわ(笑)